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この数日前に道東方面の乗りつぶしをする為に北海道&東日本パスを購入していた。
有効期間は1週間だが、この余りを使い、友人の
Pima氏と連れ立って宗谷本線を乗りつぶすことに。
2011年の夏も終わり、道内はすっかり秋模様の9月18日。
朝6時前のJR旭川駅・東改札口。
我々が乗ろうとしているのは発車標一番上、6:05発の稚内行き普通列車だ。
昨年(2010年)10月に仮開業した新駅舎も、当初は至る所に工事中の箇所があった。
あれから1年近く経ち、仕上げ工事もかなり進み、2011年10月の完全開業を目前にして最終仕上げという感じであった。
5番ホームには、キハ54-513の姿。準備も出来たし出発。
牛朱別川までは完全立体化されており、途中、宮前のカーブで築堤上を行く以外は高架の上を行く。画像は旭川四条駅のホームだが、壁に阻まれ街の様子は伺えない。
牛朱別川を渡ったら新旭川駅。石北本線との乗換駅だが、ここを通る特急は全列車通過し、かつ全ての普通列車が旭川駅まで直通するため、わざわざこの駅で乗り換える人は少ない。
北旭川駅の旭川運転所横を通過。
運転所所属のキハ40、キハ54、ノロッコ号用のバーベキューカー(ナハ29000形)や
滞泊中の789系や
今はまだ仕事のない除雪用のラッセルヘッドたちを横目に一路北へ。
北旭川を過ぎると永山駅。旭川市内では旭川駅とここ永山駅だけが有人駅である。
旧・永山町の中心部であり、周囲に高校や大学が存在することからも一定の利用者が存在する。
なお、永山駅を境に信号システムが変わる都合上、乗降扱いしない列車(特急等)も含め、全ての列車がこの駅に停車して信号システム切替えを行う。
永山新川を渡る。目の前に見えているのは国道40号の牛朱別大橋である。
思い出話になるが、高校時代のマラソン大会のコースがその橋の左岸(画像の右側)が折り返し点になっていた。よくこんなとこまで来たものである。
北永山駅を過ぎ、石狩川を渡ったら旭川市に別れを告げ、比布町内だ。
比布駅。その名前から嘗て某健康用品のCMにも使われたことがあったというこの駅。
比布町の中心駅であるが、1984年には既に無人駅となっていた模様(
参照:Wikipedia - 比布駅(別ウィンドウで開きます))。
北比布駅。画像左下に見えているコンクリート製の納屋のような建物は待合室である。
比布駅の手前にある南比布駅にも同様の待合室があったが、この北比布駅の待合室ともども2014年に取り壊され、現在は新しい待合室となっているとのこと。
発車、踏切を通過。
途中、橋梁の架替工事を行っていたようで、作業場か仮線路のようなスペースがあった。
旭川紋別自動車道をくぐり、
蘭留駅。かつては塩狩峠に挑む峠越えの列車のため、補助機関車(補機)を連結するための拠点があったというが、今は田園地帯の無人駅だ。
峠に向けて山を登っていく。
ピークの塩狩駅に停車。
上川盆地と名寄盆地を分け隔てるこの峠は、故・三浦綾子氏の著作『塩狩峠』にて描かれていることでご存知の方も多いかと思う。
悲運の物語の舞台である塩狩峠だが、「塩狩峠一日千本桜」の碑が示すように、桜の名所でもある。春は一面の桜が楽しめるのだろう。
塩狩駅では名寄から来た普通列車とすれ違い。先頭はキハ40 729。
2両編成の列車に、旭川方面への通学生を満載して峠を下っていった。
その2へ続く。
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