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その16の続き。
前日は長崎市内を発ち、佐世保経由で松浦鉄道を乗りつぶし小倉までやってきた。
旅行7日目、3月24日(土)の朝。
九州島内最終日の朝はJR小倉駅からスタート。
北九州モノレールの駅がJR駅の自由通路と同居する形の駅舎。
購入したJR九州小倉駅入場券(券売機券・小児券)
前日の博多駅と同様、発売額がJR西日本の140円(2012年当時)にあわせてある。
こちらは新幹線駅のJR西日本小倉駅入場券。
改札内へ。
08:49、鹿児島本線 普通 門司港行 2324M(クハ813-1107(先頭車) 6両編成)乗車。
09:01、終点・門司港駅到着。
ここ門司港駅は鹿児島本線の起点にして、鉄路におけるかつての九州の玄関口。
頭端式ホームに並ぶ電車。
改札を出る。
改札出て左手に、行き止まりとなった下り階段がある。
これはかつて対岸・本州にある下関駅とここ門司港駅を結んでいた関門連絡船の乗り場への通路跡。
人の往来が多かった場所とあって、戦時中には不審者監視用の孔が開けられていた。
改札出て右手奥には2階へ上がる階段。
かつては2階に食堂があったとのこと(後述のサイト参照)。
門司港駅入場券(券売機券・小児券)。
こちらが門司港駅の駅舎。
現在の駅舎は1914年に建てられたもので、約1世紀の歴史を持つ由緒あるもの。駅舎はネオ・ルネッサンス調の木造で、ドイツ人技師の監修の下で当時としては非常にモダンなデザインに仕上がっている。
なお、駅舎は訪問後の2012年9月から保存修理工事が開始され、その後駅舎復原の方針が決定された。駅全体の供用開始は2019(平成31)年春頃とのことである(
参照:JR門司港駅 - 門司港レトロインフォメーション、門司港駅が創建当時の姿に甦ります !(PDF) - JR九州公式サイト)。
駅から数百mほど歩き、関門海峡が見られる場所へやってきた。
関門橋の向こうは本州。
今度は駅前を通り過ぎ、こちらへやってきた。
九州鉄道記念館。
館内の大型ジオラマ。
九州新幹線開業1周年とあって、新幹線関連の特別展示などもあった。
菅沼タイプライターのダッチングマシン。
現在使用されているダッチングマシンは、見かけた限りでは天虎工業製のものがほとんどであり、菅沼製にはまずお目にかかることがない。
博物館内から、門司港駅と関門橋を望む。
外の展示車両を見て回る。
まずはキハ07 41。
当初はガソリンカーとして製造されたが、その後、機械式→液体式気動車へと改造されたもの。
『肥後小国⇔豊後森』のサボ。
車内。
大分市内にて静態保存されていたこの車両を、ここ九州鉄道博物館へ移転した際の鉄道雑誌の記事。
EF10 35。
1941年に関門トンネル向けとして製造された、ステンレス車体の車両。
ED72 1。
1961年に鹿児島本線門司港〜久留米間が交流電化された際に開発された車両。
クハ581-8。
言わずと知れた動力分散方式の寝台列車だが、この583系は純粋な583系ではない。
前位のデッキ。
乗務員室へつながる通路。
純粋な583系ではない、と述べた理由がこれ。
いわゆる『食パン電車』に改造されたもの。種車はクハネ581-8であるが、改造によりクハ715-1となっていた。この車両の外装や窓の復元を行い、種車に近づけたものである(
参照:国鉄419系・715系電車#保存車 - Wikipedia)。
寝台として座席を引き出した状態。
前位デッキから車内を望む。
581系登場当初の鉄道雑誌の記事。
車番。
これにて車外へ。
ロセラ1239。
セラ1形貨車は九州島内で活躍した石炭車。
最初で最後の17t積石炭車で、『セム』『セサ』『セキ』は多数あるにもかかわらず、『セラ』はこの1車種のみだ。
上付きの『ロ』は二段リンク式走り装置が導入できず、旧来の(一段)リンク式走り装置を採用したために65km/hの制限速度が掛かることとなり、これを表すためである(
参照:国鉄セラ1形貨車 - Wikipedia)。
ここ九州鉄道記念館は小倉総合車両センター門司港派出とフェンス1枚を隔てて隣接しており、こちらに留置したJR九州の営業車両が展示されていることがある。
折しもキハ66系が展示されており、その前頭部を見ることができた。
正面から見たキハ66 110。
キハ66系は、山陽新幹線博多開業に伴う北九州地区の新幹線連絡輸送のために製造された車両。
『崎サキ』の所属表記。
すぐ後ろを振り返ると、留置線の車両がそこに。
クハ481-603。
余談だが、ボンネット型の481系が走っているところを見かけたのは、2009年に大阪駅に行った際の一回きりだ。
九州鉄道博物館を後にし、正門を出たところ。
国鉄バス塗装のバスが停めてあった。
その18に続く。
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