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2012年春、屋久島は宮之浦岳に登ってきた私。
フェリーで鹿児島へと戻った後、関東までのルートとしては飛行機が一般的な手段であろうところ、九州の在来線を可能な限り乗りつぶすべく、私は鈍行列車を選択。
鈍行列車の旅といえば青春18きっぷが広く知れ渡っているだろう。もちろん今回もこの18きっぷを購入、使用した。
ただし、九州島内の鉄道はJRだけではない。九州新幹線開業時に並行在来線として分離された第三セクターの肥薩おれんじ鉄道や、阿蘇山の南側、カルデラの中を走る南阿蘇鉄道など、魅力的な民営鉄道が数多くある。
これらの民鉄にも乗車できるフリーきっぷが、
旅名人の九州満喫きっぷ(
JR九州公式サイト)である。このきっぷの大きな特徴は、JR九州の在来線普通列車だけでなく、九州島内の民営の普通鉄道・軌道(ケーブルカー等除く)の普通列車全線に乗車が可能というところだ。
先ほど挙げた民鉄路線以外にも、福岡市地下鉄や熊本・鹿児島・長崎の路面電車、西鉄電車など都市部の路線にも乗車できるすぐれたきっぷである。これら以外の具体的な乗車可能路線については、上記のリンクを参照していただきたい。
10,800円で購入日から3ヶ月以内に1人3回または同一行程のグループ(3人以下)が利用可能と、日程に関するルールは18きっぷのそれに近い。北海道&東日本パスと違い連続で利用する必要はないので、民鉄に全く乗車しない場合は18きっぷを利用する、といった使い分けも可能である。
という訳で、2012年3月18日、昼下りの鹿児島中央駅東口。
九州新幹線全線開業から1年。
N700系の写真や新幹線乗換え客を目当てにした観光列車の写真が目に入る。
駅舎内へ。こちらは在来線改札口。
みどりの窓口に立ち寄り、青春18きっぷと旅名人の九州満喫きっぷを購入する。
こちらが2012年春の青春18きっぷ。
次にこちらが平成23(2011)年度用の旅名人の九州満喫きっぷ。
そして毎度おなじみ入場券を券売機で購入。
青春18きっぷの1回目に入鋏を受け、改札内へ。
あまり天候は芳しくなく、雨が降り出しそうな雰囲気。
中線には817系V005編成が停車中。
その影にいるのは観光特急「指宿のたまて箱」略して「いぶたま」である。
構内をちらりと見て回った後、指宿枕崎線の普通 枕崎行 1337Dに乗車し、枕崎へ向けて発車。
車両はキハ47 9075。
沿線の錦江湾が穏やかでとても良い雰囲気。晴れているともっと良かったのだが。
途中、山川駅に停車。
ここ山川駅はJRの有人駅で日本最南端だそうだ。
JR有人駅の日本最北端の稚内と日本最東端の根室は、この半年前の2011年9月に訪問済みであった。さらに日本最西端の佐世保はこの数日後に訪問したため、この記事を執筆した2016年6月現在、最南端の山川駅のみ未訪問となっている。
指宿枕崎線、キハ47 9075の車内。
乗客が大挙して降りていく。その理由は……
こちら、JR日本最南端の駅である西大山駅。
ワンマン列車の案内放送でもしっかり最南端の駅を告知する徹底ぶりであった。
本来は左奥に開聞岳が見えるはずなのだが、この天気では見ることが出来なかったのは残念。
余談だが、この約半年前に訪問した日本最北端の駅・稚内駅のホームにある標柱。
実は南北端で同じデザインになっていたのである。
国鉄時代に設置したものをずっと引き継いできたのだろうか。
西大山駅を発車、入野駅に停車。
線路際の植生がいかにも南国の様相。
松ヶ浦駅停車。それにしても、JR九州の駅名票はあまり綺麗ではない。
汚れを削るように書かれた落書きに思わず苦笑してしまった。
海沿いから数百m離れたところを走る。
これは白沢駅の駅名票なのだが、もはや字がかすれすぎていて駅名票の体をなしていない。
駅名票観察をしていたら、終点の枕崎駅に到着。
海沿いの街、棒線で終端の無人駅という、留萌本線の増毛駅を彷彿とさせる構造。
JR九州の路線でよく見る大きな終端標識ももちろんある。
稚内駅から3,140kmだそうである。
私の故郷、北海道の旭川駅まででも優に2,500km以上あるが、なんとその旭川まで、九州島内の乗り鉄を含めて約10日掛けて在来線で帰還した。
今考えてもなかなか無茶なことをしたな、と我ながら呆れてしまう。
駅前の観光案内所にて最南端到達記念証明書を購入した後、市街地を散策する。
海岸沿いの台場公園へ出た。左手の大きな山は岩戸山。
この日の午前中まで居た屋久島の表記。ここから150kmはある。
公園のすぐそばには鰹節工場。近くを通ると鰹節のいい匂いが。
外に置いてある木材は鰹節を燻す工程で使用するのだろうか。
公園を離れ、市街を歩いていると、色褪せたPOPの入ったガシャポンが。
訪問したのは2012年なのだが、ポケモンの「セレビィ」が映画のメインキャラクターになったのはこの時からさらに10年ほど前だったように思う。
枕崎港。漁船が泊まっている。
国道226号沿いの案内標識。著名地点の表記尽くしである。
「頴娃」のローマ字表記は兵庫県の「粟生」と並ぶシンプルさ。
駅へと市街を歩いて行く。
枕崎駅前に戻ってきた。左手の建物が先ほど訪れた観光案内所である。
当の枕崎駅はどこかというと、正面のドラッグストアのすぐ右にアーチ状の門柱が見える場所が駅の入口である。あまりにも控えめ過ぎて見落としてしまいそうだ。
このスーパータイヨーと駐車場がある敷地が、かつての枕崎駅構内である。
枕崎駅は1931年に南薩鉄道(現・鹿児島交通)枕崎線の駅として開業し、その後1963年に国鉄指宿枕崎線が延伸してきたという経緯を持つ。
1984年に鹿児島交通は廃線となり、国鉄(現・JR九州)の終着駅なった以後も鹿児島交通時代の駅舎を使用し続けていたが、2006年に駅舎を取り壊し、100mほど鹿児島中央方面へと駅を移設して現在の形態となった。
なお、2012年の訪問時は駅自体に待合室や駅舎の類は一切存在しなかったが、2013年4月に駅舎が新設されたとのことである(
参照:枕崎駅 - Wikipedia)。
その2へ続く。
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